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走る

宝塚歌劇団の舞台を見る機会があった。

この有名な劇団のステージを初めて見て、そのエネルギッシュで煌びやかな舞台に驚いた。熱い演技、歌、そして華麗な踊り。それらをさらに輝かせる豪華な衣装、舞台装飾の絢爛さ。これでもか、これでもかというほど、次々と華やかな光を増し繰り広げられるシーン。

レビューのステージでは、出演者たちは走りっ放しだ。こんなにずっと「走っている」なんてすごい。特に主役のトップスターは、ほぼ全てのシーンで舞台に登場し、しかも、ステージ中央にいるので、登場するときもはけるときも、走る距離は一番長い。

一回一回が全員で全力投球の舞台なのだろう。全力投球の舞台だから、観客に伝わる。そして観客の感動が、また出演者たちに伝わり、エネルギーがどんどん高まっていくようだ。

もう長年の付き合いになる宝塚出身の友人がいる。私が彼女と出会ったのは、彼女が宝塚を退団したあとのこと。それで彼女に、初めて宝塚を見てきたと報告したら、「あら~、見たこと無かったの?すごかったでしょ。私あんなことしてたのよ~、ハハハ。」と電話の向こうで笑った。

「すごかったわよ、みんな、走りっ放しなの。」と興奮気味に言うと「そうよ、練習のときは一日で体重が3キロも減るの。いつも、100%でやるのよ。」と彼女。あの「走り」では、体重3キロというのは納得できる。90%の力で練習していたら、本番で100%走ることはできない。

以前、小さな集まりで何度か会った女優さんを思い出す。

「彼女、宝塚のトップスターだったの。」と紹介されても、私はピンとこなかった。私の中の女優さんのイメージ、女性的な華やかさがなかった。

彼女はいつもパンツ姿にジャケットを着て、黒か茶系の装いで地味な雰囲気、口数も少ない。ソファには座らず、いつも絨毯の床に腰を下ろしていた。私はなぜか、そんな彼女の靴下にいつも目がいった。地味な色だけれど、とってもおしゃれだったのだ。そんなところでセンスが光るなんて、やはり女優さんなのだろうと、ぼんやり思った。

でも、もしあのとき、宝塚の男役トップスターがどういう存在かを知っていれば、私の彼女を見る目はハートの形になっていたかもしれない。女性にしては低めの声と優しい笑顔、目立つことは何もしないのに存在感があった。どこまでもさりげない周りへの気遣い。一緒にいると、あたたかな気持ちになれる人だった。あの深い魅力は、宝塚の「走った時代」に培われたものだったのだろうと、今になって思う。

人生のなかで、全力で「走った時代」を持っている人はいいなあと、活き活きと弾けるステージを見ながら思う。パワー全開で踊り、歌い、走るとき、すべては「今」に集中して、不安や迷いなどを感じている暇はないのだろう。そんなステージを見ていると、こちらも元気をもらい「今」を走ってみたくなる。

「走る」とは、後を振りかえらないこと、かもしれないと思う。全ての過去は、より良い「今」を生きるためのもの。反省はしても後悔はしないという言葉の意味が、ようやく腑に落ちてくる。

「今」を信じ前を向き続けること。進み続けること。そうすれば、あの女優さんが放っていた静かな輝きを、自分の内側に見出せるかもしれない。

Rie

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