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2009年6月

走る

宝塚歌劇団の舞台を見る機会があった。

この有名な劇団のステージを初めて見て、そのエネルギッシュで煌びやかな舞台に驚いた。熱い演技、歌、そして華麗な踊り。それらをさらに輝かせる豪華な衣装、舞台装飾の絢爛さ。これでもか、これでもかというほど、次々と華やかな光を増し繰り広げられるシーン。

レビューのステージでは、出演者たちは走りっ放しだ。こんなにずっと「走っている」なんてすごい。特に主役のトップスターは、ほぼ全てのシーンで舞台に登場し、しかも、ステージ中央にいるので、登場するときもはけるときも、走る距離は一番長い。

一回一回が全員で全力投球の舞台なのだろう。全力投球の舞台だから、観客に伝わる。そして観客の感動が、また出演者たちに伝わり、エネルギーがどんどん高まっていくようだ。

もう長年の付き合いになる宝塚出身の友人がいる。私が彼女と出会ったのは、彼女が宝塚を退団したあとのこと。それで彼女に、初めて宝塚を見てきたと報告したら、「あら~、見たこと無かったの?すごかったでしょ。私あんなことしてたのよ~、ハハハ。」と電話の向こうで笑った。

「すごかったわよ、みんな、走りっ放しなの。」と興奮気味に言うと「そうよ、練習のときは一日で体重が3キロも減るの。いつも、100%でやるのよ。」と彼女。あの「走り」では、体重3キロというのは納得できる。90%の力で練習していたら、本番で100%走ることはできない。

以前、小さな集まりで何度か会った女優さんを思い出す。

「彼女、宝塚のトップスターだったの。」と紹介されても、私はピンとこなかった。私の中の女優さんのイメージ、女性的な華やかさがなかった。

彼女はいつもパンツ姿にジャケットを着て、黒か茶系の装いで地味な雰囲気、口数も少ない。ソファには座らず、いつも絨毯の床に腰を下ろしていた。私はなぜか、そんな彼女の靴下にいつも目がいった。地味な色だけれど、とってもおしゃれだったのだ。そんなところでセンスが光るなんて、やはり女優さんなのだろうと、ぼんやり思った。

でも、もしあのとき、宝塚の男役トップスターがどういう存在かを知っていれば、私の彼女を見る目はハートの形になっていたかもしれない。女性にしては低めの声と優しい笑顔、目立つことは何もしないのに存在感があった。どこまでもさりげない周りへの気遣い。一緒にいると、あたたかな気持ちになれる人だった。あの深い魅力は、宝塚の「走った時代」に培われたものだったのだろうと、今になって思う。

人生のなかで、全力で「走った時代」を持っている人はいいなあと、活き活きと弾けるステージを見ながら思う。パワー全開で踊り、歌い、走るとき、すべては「今」に集中して、不安や迷いなどを感じている暇はないのだろう。そんなステージを見ていると、こちらも元気をもらい「今」を走ってみたくなる。

「走る」とは、後を振りかえらないこと、かもしれないと思う。全ての過去は、より良い「今」を生きるためのもの。反省はしても後悔はしないという言葉の意味が、ようやく腑に落ちてくる。

「今」を信じ前を向き続けること。進み続けること。そうすれば、あの女優さんが放っていた静かな輝きを、自分の内側に見出せるかもしれない。

Rie

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「ツイてる」の実験

「ツイてる」という言葉をたくさん言うと、本当に「ツイてる」ことが起きる。そんな話をよく耳にする。先日も、「ツイてる」というのは、いつも自分にツイて守ってくれている、ありがたい存在のことだと、本に書いてあった。

それで、ある朝、試しに「ツイてる」と言いながら駅までの道を歩いてみた。周りに人が居ない間の、ほんの数分間のこと。

駅に到着すると、なにやら信号機トラブルで電車が遅れているとのアナウンス。

あら?「ツイてる」と言ったのに、トラブルが起きるなんておかしいな、と思いながらホームへ。いつもより混んでいる列の後ろに並ぶ。15分ほど遅れて来た電車はかなり混んでいる。朝の15分は大きい。いつもなら、6時半ごろの電車は比較的空いていて、次の駅で降りる人もいるので、運が良ければ座れるが、この混みようでは難しそうだと諦めた。

電車に乗り込み、後から横から押されて奥へ入ってゆく。自分の自由には身動きがとれない。そして次の駅に到着。また、横から後から押されて、あれあれと思っているうちに、たまたまその駅で降りる人のまん前に・・・。あら、座れてしまった。やっぱりいいことがあった、とうれしくなった。

その日、会社で「よかったらどうぞ。」と本を頂いた。袋を開けると、中には本と一緒にシールが入っていた。それが「ツイてるシール」というのだったので、びっくり。実験はかなり成功かもと、一人でニンマリとしてしまった。

さて、夕刻。一日の仕事を終えて家路に着く。帰りは座ってゆくために、始発駅で並ぶ。電車が到着するころには、ずいぶんと列が長くなったが、前から3番目だったので、これなら余裕で座れると思っていた。

到着した電車のドアが開くと、最後の人が降りきらないうちに、待っていた人が乗り込み始めた。最後に降りようとしていた若い女性はトランクを抱え立ち往生。彼女のために、ちょっと脇に寄り立ち止まると、後ろの人が私を押しのけて電車に乗り込んだ。その勢いで人が車内になだれ込み、私は出遅れてしまった。

女性が降りた後、慌てて乗り込んだが、すでに車内の席は全部埋まっている。いつものように、「座席争い」は5秒で終了した。・・・ショック。車内をうろうろするが、もう空いている席はない。

でも、あの女性を押しのけて座れたとしても後味が悪かっただろうと、自分を納得させる。

「結局、最後に勝つのは誠意や思いやりだ。」という私の好きな作家の言葉を思い出し、50分間の「立ち」を覚悟してつり革につかまろうとしたときに、事件は起きた。

目の前に座っていた若い男性が、突然立ち上がり、あわてて電車を降りて行ったのだ。あれ、どうして? まあ、いいか、何だか知らないけれど座れたのだから。やっぱり、作家の言葉は正しかったと心の中で喜んだ。

以上、「ツイてる」の実験は、なかなかの結果だった。

Rie

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銀座画廊物語

社長から本をいただいた。

大きな紙袋に何冊も。しかも、数回にわたって。本の整理をしていたら、間違えて同じものを2度買ってしまった本があったそうだ。私がインターネットで、一度に数十冊も注文するときもあれば、社長が本屋さんでお買いになる本もある。合わせればかなりの冊数なので、一度買ったものを忘れてしまうこともあるだろう。そのお陰で、だぶって購入された本を私が頂くことになった。

自分では、知らない、又は興味がないように思っていた本との出会い。わくわくしながら最初に読んだのは、「銀座画廊物語 日本一の画商人生」(吉井長三著)。

お昼休みに読み始めたら、すぐに惹きこまれて休み時間があっと言う間に過ぎてしまった。それから毎日、お昼休みはその本を読むのが楽しみになった。

私は初めて、世界で活躍する日本を代表する画商、吉井長三さんのことを知った。世界に誇る活躍をしてきた日本人のことを、私はほとんど知らないことに気づく。読み進めるうちに、吉井氏に大きな影響を与えたという画家、ルオーの絵を、どうしても見たくなった。

吉井氏との縁で、一括保存の危機状況にあったルオーの「受難」をまとめて買い取った出光氏。そんなエピソードを読み、早速、出光美術館へ出かけた。

昔、友人に付き合って、美術館めぐりをしたことがある。友人はアートを専攻していたせいもあって、画家の名前も良く知っていたし、絵や彫刻を見ては、感心したり、コメントしたり。私は、何を見ても、どこがいいのか全くわからず、自分にはアートを鑑賞する才能はないのだろうと思っていた。それ以来、みずから進んでは美術館へ行くことはなかった私を、一冊の本が美術館に誘い出してくれたのだ。

美術館にはルオーの作品が3点、常設コーナーに展示されていた。その前に立ってみる。最初に目に飛び込んできたのは黒く太い線。力強い。生きているみたいな絵だ。
ルオーの作品の前に立ち、何かを感じている私がいた。ドクドク。それは、鼓動のような音だった。3枚の絵のひとつひとつの前に立ち、近づいたり離れたりを繰り返す。何回やってみても、そのたびに新鮮で、絵と向き合う楽しみの入り口をやっと見つけたような気がした。最後に、いちばん気に入った絵の前に立つ。もっと、たくさんの絵を見たいという想いが静かにわいてきた。

面白い本は終わりに近づいてくると、読み終えてしまうのがもったいなくて、わざとゆっくり丁寧に読む。この本も、そんな一冊だった。吉井氏が山梨に創った芸術村へも、いつか足を伸ばしてみたい。

Rie

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