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2009年3月

記憶の案内人

朝起きると、家中の窓を全開にして、キッチンとお風呂場の換気扇を付け、空気の総入れ替えをする。家の中の空気がさわやかになったところでお香をつける。これで、気分よく一日のスタートを切れる。

お香選びは、なかなか難しく、高ければ良いというものでもなく、安いものでは、かえって空気を入れ替え直さなければならないようなものもある。最近は香りを楽しむためのお香が数多く出ているが、店頭でお香本体の香りを嗅いでみても、実際に焚いてみないと好みの香りかどうかはわからない。

先日、炭から作られたお香をみつけた。焚いてみたらとても懐かしい香りがした。それは、幼い頃によく訪れた母の実家の匂いだった。昔の木造民家で、居間にも客間にも囲炉裏があった。寒い季節に訪れると、囲炉裏では薪が赤く燃えていた。私はそれがめずらしくて、いつまでも飽きずに囲炉裏の側にいた。灰に模様をつけて遊ぶのも絵を描くようで楽しかったし、新しい薪をくべるときは目を輝かせながら見ていた。

お風呂も、薪で沸かしていた。これが、とても面白くて祖母に頼み込んで、手伝わせてもらった。最初に、燃えやすい松の小枝を風呂釜に詰め、それから、新聞紙をぎゅっと固めて先っちょに火をつけて入れる。松の小枝がパチパチと音を立てて勢いよく燃え出したら、薪を一、二本入れる。薪に火がついたら、次の薪を入れてゆく。こんなに面白いことをするのは、初めてだった。あんまり楽しすぎて、ついつい沸かしすぎて、お湯はとっても熱くなってしまった。あの、懐かしい香りの中で祖母と叔父は苦笑いをしていた。薪割りもさせてもらったが、こちらはなかなか一筋縄ではいかず、見て楽しむだけにした。薪割りの音が体に心地よく響いたのを思い出す。

ときに、香りは記憶の案内人となり、過ぎた日を鮮明に蘇らせてくれる。

新しい一日の始まりに懐かしさに包まれて、古いものと新しさが私の中で溶け合う日は、なつかしい未来が、ゆっくりと目を覚ます。

Rie

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社長のブログ「しつけ」を読んで、思い出したことがある。

高校生のときに生まれて初めて訪れた外国、アメリでのロサンジェルスでのこと。

バスの中で、ある光景に目が釘づけになった。それは当時の日本では考えられないことだった。バスの中で若い女性が堂々とお化粧をしていたのだ。ジロジロ見てはいけないと思いつつも、ついつい目がいってしまう。アメリカという国には、こんな人もいるのかと、とてもびっくりした。

のちに、そんな光景を日本でも目にするようになるとは夢にも思わなかった。

ところで、数年に一度訪れるアメリカで、昔と比べて公衆の面前でお化粧する人が増えた様子がないことに気づいた。20年前と比べて、マナーが悪くなったようにも感じられない。社会全体として躾やマナーに対する姿勢は、昔とそれほど変わっていないと思う。

私が高校生のときにアメリカでホームステイした家庭は、整理整頓や姿勢やマナー、公共の場での振舞い、目上の人を敬うことなど、子どもへの躾が厳しかった。そして、それは私が滞在した家に限ったことではなかった。

子ども達は、まず、一流ホテル並のベッドメイキングができるようにならなければならない。それは躾の基本中の基本のようだ。日本の生活でも、重い布団を押入れから出して敷き、シーツをピンとかけて、朝になれば、きちんと畳んで押入れにしまう。これは来る日も来る日も同じことの繰り返しだ。私は子ども頃、ベッドの人は、布団を敷いたり畳んだりの手間暇がかからなくてうらやましいと思っていたことがあったが、とんでもない。ベッドメイキングもかなりの力作業だし、短時間でこなすにはコツも要る。それを毎日繰り返すと、自ずと整理整頓の感覚と力が体にしみこんでゆくのだろう。

アメリカの映画やテレビドラマで、オフィスの受付嬢や事務員などが、ヤスリで爪の手入れをしているシーンを見ることがある。これは、「彼女の頭は空っぽ」ということを表現するシーンだと教えてくれた。そのオフィスが自由で開放的だとか、彼女がおしゃれだということを意味するものではない。そんなシーンの表面だけを、かっこいいと真似てしまったら、知らない間に恥をかくことになる。おそらくきちんと躾が身についている人は、どこの国の人であろうと、電車やバスのなかでお化粧などはしないのだ。

自分が、どれほどの躾を受けて育ってきたか、また、どれほどの品性を備えているかは、案外、周りの人には丸見えなのだろうと思う。暗黙のうちに、総合判断を下されているのだ。それは、言葉を越えて存在する世界共通のものだと思う。

大人になった今、たくさんの人たちと関わりあいながら、より良い人生を過ごしていくために、謙虚な気持ちで自分への「躾」を忘れないようにしたい。

Rie

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木の意思

冷たい風の中にピンク色の提灯が揺れていた。

まっすぐに伸びる桜並木の街燈に下げられた提灯。今年もお花見の準備が始まった。空気はまだひんやりとするけれど、もう真冬の冷たさではない。また春がやってくる。日に日に膨らんでゆく桜の蕾は、初めて出会う春を想い、胸をときめかせているのだろうか。

私の住む街には、見事な桜並木が延々と2キロほど続く。桜の季節には、街中がたくさんの人であふれ、いつもなら5分で行ける近所のスーパーマーケットへも、倍以上の時間がかかってしまうほどなので、日中のお花見は避けて早朝にしている。

週末の朝、ちょっと頑張って早起きをする。できれば、太陽が昇りたてのころがいい。

空気はまだ澄んでいるし、人もほとんどいない。朝焼けの光が、淡いピンク色の桜の花を照らす。オレンジ色と桜色が溶け合い、幻想的な風景をかもしだす、ほんのわずかな朝の瞬間。ピンク色の道がどこまでも続き、見上げれば青い空。

静けさの中にあふれる生命力を感じるとき、私の気持ちも春の勢いに乗る。

この静けさを、ときおり可愛らしい声で破るのは鳥たちだ。鳥たちが、咲いたばかりの、きっと甘いであろう桜の蜜をつつく。つつかれた花たちは、くるくると回転しながら、花の形のまま舞い落ちてくる。鳥たちの朝食のあとには、いくつもの花たちが地面に散らかっている。ほんの一瞬、春と出会い消えてゆく花たちは、淡い思い出を残してゆく。

並木の桜たちは、樹齢50年ほどで、そろそろ寿命らしい。それでも、少しでも長く生きてほしいという人間側の希望により、枝に支え木が添えられたり、栄養剤を注射されたり、囲いがされて近づけないようになっている木もある。

おかげで、老木の太い幹のこぶの間から可憐に芽吹く花を愛でて、心洗われることもある。

以前、とても気分が塞いでいたときに、桜の老木に手をあてたら、すーっと気持ちが和らぎ暖かさがこみ上げてきたことがあった。それは、とてもリアルな感覚で、きっと、木がやさしさで包んでくれたに違いないと思った。

木々たちは動かず、語らず、大地に根を張り光を仰ぎ、雨に打たれ、風に吹かれても、鳥たちにつつかれても、そこにじっとしているけれど、それが、ひとつの大きな意思なのかもしれない。気持ちを静めて木々と向き合うとき、心に見えてくる原風景は、どこまでもやさしい。

さて、桜の花に出会うまで、あと少し。私も胸をときめかせて開花を待つことにしよう。

Rie

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