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2008年12月

9リットルと7人のソムリエ

ソムリエさんが、床に敷いたマットの上にボトルを置いて上部のフォイルを剥がす。中から現れたコルクはやはり大きい。9リットル入りのシャンパン。普通サイズのシャンパン12本分だ。

シリーズのワイン・セミナー、最終回は、Tホテルのソムリエさん7人が勢ぞろい。一年の最後を飾るにふさわしい華やかなディナーとなる。

普段は、一人のソムリエさんが前菜からデザートまでのワイン選ぶ。それぞれにお得意の地域があるようで、フランスのワイン、ラテン系のワイン、めずらしくは日本のワイン、というように、毎回ソムリエさんの個性が感じられるセミナーが繰り広げられた。

ワインが大好きで、かつ、とても詳しい知人のおかげで、今年はこのセミナーに数回ほど参加して、奥深いワインの世界を少しだけ垣間見た。そのワインが生まれた土地の気候風土や文化に到るまで、話に耳を傾けていると、ワインを媒体に見知らぬ国を旅しているような気分になる。「ワインは文化」と言われるのは、こういうことなのかしら、などと思いながら、シャンパンが開けられていくのを眺めていた。

大きなコルクに巻かれたワイヤーは太く、ソムリエさんの細い指が、ちょっと痛そうだ。いよいよ、コルクの頭に手をかける。どんな大きな音がするのだろう。手元が狂ってコルクが天井にでもぶつかったら、穴があいてしまうのではないのだろうか。

ところが、なかなか栓は抜けない。若いソムリエさんは細身だ。こんなに大きなシャンパンの栓を抜く機会は、そう多くはないのだろう。かなりの力でコルクを回そうとするが、コルクはびくともしない。

スピーカーからは、乾杯前のお話をしているソムリエさんの声が流れる。このお話の間に、各テーブルのグラスにシャンパンが注がれる予定だったのだろう。話が終わろうとしているのに、シャンパンは来ない。心配をしたソムリエさんが二人、三人とシャンパンと悪戦苦闘しているソムリエさんのところへ集まってきた。

一人目のソムリエさんの手が赤くなっている。手首の痛みを取り払うように手を何度も振りながらギブ・アップ。二人目のソムリエさんが挑戦し続ける。そのころにはソムリエさん7人がボトルのまわりに大集合。みんな真剣な眼差しで、私もドキドキしてくる。

果たして、無事に栓は抜けるのか。コルクは動かず、三人目、中堅どころのソムリエさんに交代。彼は力づくでコルクの上部をちぎりとる。この時点で、ちょっとホッとする。あとは、ワインオープナーを入れ込む。

一同、息を飲んで見守る。普通のワインの、おそらく何倍もの力を使ってコルクを引き抜くソムリエさんの顔が真っ赤になっている。

抜けた!今までの緊張感は解け、パッと笑顔になったソムリエさんたちに拍手が起きる。予定の時間をかなり押している。シャンパンの栓を抜いたソムリエさんが、早業のように味を確認して頷く。その間にも、ボトルを抱えたソムリエさんは奥へと移動し始める。

シャンパンは一旦サーバーに移されてから、各テーブルのグラスに注がれた。ボトルが大きいので直接グラスに注ぐことはできないそうだ。サーバーに移した分、グラスに注ぐときには泡が少なくなってしまうとソムリエさんが言ったけれど、口に含むと期待以上にシュワシュワとはじけたシャンパン。やはりシャンパンはしあわせの味がする。

これほどの大きなシャンパンはホテルの冷蔵庫にも入らず、大きな入れ物に氷を入れて冷やす。シャンパンを開けてから、万が一、出せないような状態であれば、その代わりはない。これだけの大きさのボトルを開けるのはひとつの賭けです。と、ソムリエさんたちの裏話も聞かせていただく。

ワインのボトルの大きさは、基本的にハーフかフルボトルの2種類しかないが、シャンパンはお祝いの席で使われるので、いろいろな大きさのボトルがあるそうだ。きっと、豪華なパーティーなどで、飲まれることが多いのだろうが、コルクを抜くのはなかなか至難の業だろう。

めったにお目にかかることのできない9リットルのシャンパン。今年の最後に、大きな花が添えられた気分だ。コルクを抜くのは大変だったけど、飲んだときのうれしさも大きい。

今年は、ちょっと大変なこともあったけれど、けっこう充実した一年だったと思う。終わり良ければすべて良し。シャンパンのはじける泡のように、うれしく楽しく新年を迎えよう。

Rie

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紅葉の京都へ2

京都2日目、比叡山延暦寺。

初めて訪れた比叡山の12月初旬の空気は、きりっと引き締まるような冷たさだった。

私たちは、一般公開されていない書院を見せていただく。書院というのは、大切なお客様をお迎えする迎賓館の役割を果たすもの。

責任者の方が、「ちょうど昨年、天皇陛下がいらしたので、畳を総入れ替えしたばかり。そこにいらっしゃるなんて、皆さん幸運ですね。」と案内してくださる。海外の王室の方VIPなどの国賓をおもてなしするときに使用される場所だという。

琵琶湖を借景とする書院。20畳ほどの和室が2つ続く客室の窓から眺める庭には、その先に大きな池があるかのように琵琶湖が広がっている。一見、質素な造りであるかのように見える室内も、細かく造りこまれている。少しの明かりでも室内が明るくなるよう工夫されているという天井は、雲のように濃淡のある金がうっすらと塗られている。襖上部の欄間には、竹細工の格子。よく目を凝らして見なければ、その細工の細かさには気づかない。余計な調度品はなく、床の間に掛けられた軸が存在感を出している。

余計な飾りのない質素さの中に日本人が感じる奥深さを、外国の人も感じるのだろうか。洗練された静かな空間で、ここに客人として訪れるような人たちは、どのようなことを感じ、何を考えるのだろうか。そんなことを、ふと考えながらと窓の外に目をやると、そこには色の淡い静かな景色が広がり、心の波音を静めてくれるような気がした。

この旅を企画してくれた先生は、本物、一流のものに触れることは本当に大切だと言う。なぜか。それは、幸せに生きる力を育てるためだと教えてくれた。本物、一流のものに触れると人は感動する。その感動が、人生をよりよく生きていく力につながるのだと。

この京都への旅で、見聞きしたことが、私の中でやがて力になってゆことを信じつつ、新しい年への準備を始めよう。

Rie

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紅葉の京都へ 1

京都へ、ちょっと贅沢な旅をした。

一流のものを体験することは大切というのが主義のお菓子の先生と一緒に出かける。総勢二十数名。

夕食を京懐石の料亭でいただく。私たちが案内されたお部屋の窓の外には、柔らかくライトアップされた庭の紅葉が美しい。

それぞれお膳の前に座ると、華やかなひとときが始まった。乾杯のおんどをとってくださる方が、グラスを持ってご挨拶をする。そのとき、広間の出入口に控えていた女将さんは、畳に顔を押し付けるかのように深い礼の姿勢をとる。体を二つ折りにして、低く伏している。廊下にいる料亭の従業員も床に座り、上半身を45度ほど倒し、控えの姿勢をとる。挨拶が続く数分間、ピクリともしない。その姿は、部屋の隅にいながら、場の空気を引き締めるようで印象的だった。

最初の料理が運ばれてくるとまもなく、芸妓さんが登場する。

「京都の花街では一番歴史が古い上七軒の芸妓さん、舞妓さんをお願いしましたから、どうぞ楽しまれてくださいね。」と先生。まずは、芸妓さんの舞いから。私たちのほうに背を向けて、見返るように舞う姿に見とれる。手の動きもしなやかで美しい。めずらしいお料理が目の前に次々と運ばれてくるけれど、この舞を一瞬でも見逃したくなくて、ついついお箸は休みがちになる。芸妓さんの舞いのあとは、舞妓さん。こちらは二人で可愛らしく舞う。

そして、舞を終えた芸妓さん、舞妓さんが私たちの前にきて、お酌をしてくれたり、おしゃべりをしたり。私の方が緊張しながら、相手をしてもらう。外見は優雅なお人形さんのようで、けれど、口調は意外とさばさばしていて、よく笑う。

私の側についてくれた人は芸妓さんになってから10年ちょっとが過ぎ、今が、芸妓として一番楽しいと言う。私の隣にいた男性が「男性の見極め方は?」と質問したら、「一生懸命な人がいい。遊ぶのも一所懸命、仕事も一所懸命。」と答えていた。

お仕事柄、いろいろな世界の様々な方とお会いするんでしょうね、と言ったら「そうどすなぁ。」とニッコリする。いろいろな意味合いを感じさせる、深く、けれどさらりとした笑顔だった。お客として、私の方が品定めをされているのだろうなと思いながら、心持ち緊張しながら、でも、とても楽しいときを過ごす。一緒に写真を撮り、その優美な姿で「おおきに」と言われると、やはり、ちょっとどきっとした。

つづく

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