« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月

時の流れに

家から歩いて5分。一橋大学のキャンパスは、奥が深い。

街の真ん中を陣取るキャンパルは、大きな公園のようで、雑木林も池もあり、ちょっと贅沢な散歩ができる。今の季節は紅葉した銀杏の葉が、風に吹かれてハラハラと舞っている。

キャンパスにある大正から昭和初期に建てられた古い講堂は、入口や窓のデザインがアーチ型になっていたり、車寄せがあったり、味わいのある建物が多い。この建物を見て回るだけでも、けっこうな散歩になる。

10年程前までは、今より、もっとたくさんの林や空き地があったけれど、新しい校舎や寮が建ち、私の好きだった雑木林はなくなってしまった。

新しい建物は、古い建物の色やデザイン似せて建てられた。けれど、似て非なるもの。新しい建物は、古い建物の隣に、その味わいのなさをさらすことになってしまった。予算の関係や、資材の調達、それに職人さんの技のようなもの、いろいろな面で、昔と同じものを作ることは、出来ないのだろう。

最近修繕工事の終わった兼松講堂は音楽ホールにもなっている。

先日、中に入る機会があった。音楽会の始まるまでの間、辺りを見渡す。柱の上の彫刻は、同じものがひとつとなく、窓やステージはアーチ型にデザインされている。直線が少ないアナログ的な空間だ。ただ機械的に四角に区切られた空間と違って、私は好きだなと思いながら、飽きずにながめていた。

兼松講堂は、100年後も使えるようにと考えて修繕がおこなわれたそうだ。

100年後、私はいないけれど、この建物は、どんな時代を向かえ、どんな人たちを迎え入れるのだろう。100年後の人の心にも、この建物は、きっとやさしく触れるのではないだろうか。その頃には、今、新しくて無機質に感じられる建物も、味わい深いものになるのかもしれない。

移り行くもの、消えてゆくもの。時の流れに思いを馳せながら。

ステキな週末を。

Rie

| | コメント (0)

人生100年の時代

「手薬煉を引きながら、ワクワクして待っている。」

ラジオから流れてきた言葉が耳に止まる。思わず、側にあったノートにメモをした。

インタビューアーが男性アーティストに質問した。

「現在、アートのマーケットにも金融不況の影響が及び、世界的に作品が売れなくなってきている。今まで億単位の値で落札され続けてきたあなたの作品も先日のオークションでは売れなかった。この状況を、どう思うか?」

彼は力強い声で「ワクワクしている」と答えた。

「金融システムもアート市場も、今までのものが崩れて新しいものが生まれてくる。そのパラダイムシフトを目の当たりにし、いったいどんなふうになっていくのだろうと思うと、本当にワクワクする。」

それは決して負け惜しみの発言ではないのが、彼の声から感じられた。本当に楽しそうで元気いっぱいのエネルギーにあふれているようだった。

彼の発言を聞いて、すぐにおもしろいと思った。ポジティブな発想をしているのではなく、彼自身の生き方の姿勢が、そのような発想を生んでしまう。彼の話は、とても刺激的でパワフル。聞いている私は、どんどん元気な気持ちになった。

アーティスト、村上隆が、次々とインタビューアーの質問に答える。彼の話を聞きながら、私の中の何かがオンになって、次々とメモをとる。

印象的だったのが、これからの高齢化社会にたいする彼の見方。

人間が100歳を越えて生き長らえるようになったのは、人類史上初めてのこと。誰も今までそんな時代を経験したことはない。人類史上初めての、人生100年の時代を迎える。どれほど計り知れない可能性があることか。人生100年という視点に立つとき、人の気持ちは、どう変わってゆくか。子ども達は、人生100年と教えられ、どう生きようと思うのか。

彼の熱い口調に、社会の高齢化社会とは、人類が始めて月面に着陸したことよりも、はるかに大きなイベントなのだと、私までワクワクしてきた。いろいろな問題は出てきてあたりまえなのだろう。何しろ人類史上初めてなのだから。

問題は、視点を変えればチャンスなのだ。日常の中でも、自分が問題と感じることは、実は、向き合う方向を教えてくれていると思う。

「問題を解く」のは、次の新しいステージへのステップだと思うと、楽しい気持ちすらしてくる。問題は、はすに構えると実態以上に大きく見えると友人が言っていた。

マスコミにあふれる情報は、世の中に対するネガティブなものが多いけれど、自分の未来も、世の中の未来も、気持ちの持ち方で見えてくるものは違うだろう。

自分の人生に向きあう覚悟を決めれば、一寸先の「闇」は、計り知れない可能性に思えてくる。

人生100年の時代は、今まさに始まった。

Rie

| | コメント (0)

紅葉

秋田新幹線に乗る。盛岡を過ぎて田沢湖線に入ると車窓からの景色は急に変わった。連なる山々は鮮やかに紅葉している。新幹線の中で、日頃の睡眠不足解消のために寝ていたけれど、紅葉の風景は、まばたきをするのももったいないほどきれいだった。

深い森林、岩山の間から流れ落ちる滝、その下を流れる川は緑色に澄んでいる。この辺りは、道も見えず、人が足を踏み入れていないような景色が多い。トンネルを幾つも抜けて行く。

母の実家のある秋田へ、母娘二人。駅に降り立つと空気がおいしい。1年半ぶりの帰省で、2人であちらこちらの親戚の家を回る。叔父や叔母達は70代、80代だ。若い人たちはみな都会に出ていて、老夫婦が亡くなったあと、そのまま空き家になっている家も多くなってきているらしい。私のように、たまに訪ねてゆき、食べ物がおいしいね、空気がいいね、と喜んでいるのと、そこに生活するのとでは全く違う。新幹線の車窓から楽しんだ手付かずの自然。裏返せば、人がいないから開発をしない。だから、ますます人が離れてゆくと叔父が言う。それに秋田県は高齢者の自殺者数が全国一だそうだ。何が原因なのだろう。気候のせいかな、秋田県人の気質のせいかな。

高齢者となった叔父や叔母たちとは、自然と健康のことや病気の話題が多くなる。私は話しているうちに、とものごとの受け止め方が、それぞれに本当に違うと思った。例えばお医者さんに、あなたは病気ですよと言われただけで参ってしまう人、とっても深刻に受け止めて悩んでしまう人、起きたことは起きたこととして前向きに対処する人。その受け止め方が、治療や薬と同じぐらい、大きな影響力を持つと思う。

80代半ばになる叔父夫婦は、2人暮らし。今でも、2人とも元気で畑仕事をしている。お米も作っている。私などより、足腰はよっぽど強い。大きな病気もせず、これまでやってきた2人は、とにかく明るい。大きな声でよく話し、よく笑う。そして叔父は、人の話に謙虚に耳を傾ける人でもある。相手の話から、まだまだたくさん学ぶことがある。いつでも、そんな真摯な態度で私の話に真剣に耳を傾けてくれる。だから叔父の頭の回転はまだまだ速い。

叔母はいつでも陽気。「私はね、この間ね、骨粗しょう症という賞をいただいてねぇ、一週間に一度、薬をご馳走になっているのよ。」と、まるでうれしいことを報告してくれるように言う。そんな叔母の、笑顔を見たら拍手を送りたくなった。元気に生きる知恵を見せてもらって、本人の気持ちの持ち方って本当に大事だと感じた。

年を重ねてゆくことで、その人の個性はより強くなっていくように思う。けれど、年を重ねてゆくだけで、その人の深みが増すとは限らない。日々の気持ちの持ち方、ものごとに対する向き合い方、その積み重ねが、結果として現れるだけなのだろう。

新幹線の車窓から見た、夕陽に映し出された紅葉の景色は、ハッとするほど美しかった。人生の黄昏の時を美しい色に染められるよう、今を大切に、過ごしてゆきたい。

Rie

| | コメント (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »