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2008年9月

やわらかさ

休日前の夜、久しぶりにゆっくりとバスタイムを過ごす。

いつもより少し念入りにバスルームを掃除して、グラスにコントレックスを注ぎ、本を用意する。今日は、どの本にしようかしらと選ぶときからバスタイムは始まる。

お風呂に入りながら本を読む人はけっこういるようだ。以前、丸善で入浴時に読む本コーナーを見つけたことがあった。近代小説からノウハウものまで、種類は豊富。本の素材がプラスチックになっていて濡れても大丈夫なようになっている。

これはいいなと思って手に取ったけれど、ふと、その感触が手になじまず、買うのを止めた。薄いプラスチックではあるけれど、やはり硬い。その「硬さ」の上に書かれた文字も、やはり硬くて目に強すぎる。お風呂で読むには便利かもしれないけれど、リラックスできないような気がした。それに、お風呂以外の場所で読書することも多いのだし。あらためて、やわらかな紙のやさしさに気づいた。お気に入りの本がバスルームで少々よれよれになっても、それも、またいいか。

その日は、本棚から「シンプル&ラグジュアリー」という本を選ぶ。バスタブにつかりながら、洒落たベッドルームやバスローブ、香りを楽しめるソープなどの写真をじっくりと見る。そして、真っ白でふかふかのバスタオルの写真。そのやわらかな感触につつまれたら、どんなに気持がいいだろうかと想像をめぐらしているうちに、あっという間に時間は過ぎていた。

あとはもう、眠るだけ。ベッドに入る前に、最近気に入っているスパ・ミュージックのCDをかける。音楽と一緒に女性の声が入っている。フランス語なので意味はわからないけれど、響きがやわらかいので耳に心地いい。この声を聞くと、どこか異国のホテルの一室にいるような気分になる。最後に、バラの庭という名の香りのピロー・ミストを枕にシュッ、シュッ。やわらかな香りに包まれて、おやすみなさい。

ぐっすりと朝まで熟睡するだろう思っていたら、夜中に、ふと目が覚めた。時計を見ると午前3時52分。

なんとなくベランダに出たら、空に星がいっぱい。そして、星のお花畑の真ん中に弓形のお月さまがキラキラ。はっとするほどきれいだった。「あぁ、私って、宇宙にいたんだ。」と突然、そう思う。

地球にいるということは、宇宙にいるということでもある。考えてみれば当たり前のことだけれど、普段は、そんなことは思ってもみない。私は宇宙にいる、そう気づいて、日常のことを思い出してみたら、やわらかな気持ちになる。

星々の間にひろがる暗闇は、そろそろとやわらかくなり、近づいてくる夜明けを待っているようだった。

Rie

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なつかしい家

大きなターミナル駅の京都駅。

その京都駅からたった一つだけ隣りなのに、山科という駅に降り立つと人影も少なく、ホームも1本。人里離れた町へ来たような気がした。

駅からタクシーに乗り10分弱。運転手さんに「ここですよ。」と言われて車を降りる。辺りは林ばかりで、古民家が一軒。道と林の見分けがつかず、どこから入ってゆくのだろうと少し迷っていると、ちょうど、食事を終えた人たちが歩いてきた。

築百数十年ほどの、この民家は、大雪に耐えるケヤキ造りの民俗資料建造物で、映画やCMの舞台にもなったそうだ。今では、京風の蕎麦会席を供するお店になった家。その茅葺き屋根を見上げると懐かしい気持ちになった。

庭に敷き詰められたじゃり石は、波型の模様に整えられて京都らしい。露地の横には苔に覆われた石の上に水が滴っている。澄んだ空気と木々の香りの中、静かに足を進めてゆくと、こころまで静まってゆくようだった。

白く大きなのれんをくぐって中へ入る。ぽっかりと大きな空間の薄暗さに、不思議と気持ちは落ち着く。

奥からお店の方が出てきて、席に案内してもらう。土間をあがり、奥の和室へ入ると、床の間には掛け軸と花が飾られていた。そのとき、柱時計が鳴って、どこかへタイムスリップしたようだった。

席につくと、ひんやりとした空気。この涼しい風はどこから吹いてくるのだろう。エアコンがついているのかと思ったら、窓から入ってくる風だった。

この風の温度と香り。それは私の、とても知っているものだった。母の昔の実家の香りだ。毎年夏休みには、一週間ほど滞在して、よく遊びよく食べて、そして昼寝をした。居間の窓の脇に祖母と一緒に横になると、涼しい風が木々の香りを乗せて、そっと頬の上を通り過ぎてゆく。その空間は、しーんと静かなのに、やさしい音楽が流れているような心地になった。

今はもうなくなってしまった秋田の家を、私は大好きだった。広い土間、囲炉裏のある部屋、高い天井には驚くほど太い木が一本横たわっていた。みんなが寝静まった頃に、ボーンと居間で響く柱時計の音を、夢の中で聞いていた。

いろいろな風景が次々と思い出されて、目の前にいる母と、自然に昔話に花が咲く。

子どもの頃は、ほとんど理解できなかった秋田弁。ちょっと真似して話してみたら、全然違うと母が言う。秋田弁にもいろいろあって、村や町ごと、また階級によっても違ったらしい。いいお家の人は女性のことを「姉はん」と言うと聞いて、京都弁に似ている気がした。昔は京都と秋田は船での行き来が盛んで、京都の文化がずいぶん入ってきた時代があったそうなので、その影響だろうか。

祖父母たちとの思い出も語り合いながら、鱧のお刺身や、出来たてのお豆腐、水菜のてんぷら、めずらしい大根蕎麦、うなぎなど、京都らしいお味を楽しむ。

初めて訪れたお店だったけれど、とても懐かしいところへ帰ってきたように、ほのぼのとした温かさに包まれた京都の山科だった。

Rie

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秋風に誘われて

今週末は、久しぶりの京都。

京都は、とても好きな場所のひとつで、気づけば数年に一度は訪れている。

私の記憶に残る初めての旅は、京都への家族旅行。私と母と、叔母と従妹たちの女ばかりの旅。

小学生だった私と従妹が一番楽しんだのは、「都をどり」。祇園の歌舞練場の建物も印象的で、何か今まで見たことのない世界に入っていくような気持ちで足を踏み入れた。初めて見る舞妓さんや芸妓さんの舞い。小学生の私は、こんな世界があるなんて知らなかった、と思いながら華やかに繰り広げられる舞台に見入った。フィナーレには、出演者全員が総出となり、衣装も髪飾りも舞台も、桜の花で埋め尽くされる。そのきらびやかな光あふれるステージは、小学生の私には印象的過ぎるほどだった。母にプログラムを買ってもらい、1歳年下の従妹と盛り上がる。

その夜、旅館の布団の上で、大人になったら舞妓さんになろうと幼い2人が誓い合ったことも、今では懐かしい思い出になった。

私が初めて一人旅をしたのも京都だった。高校生の夏休み、あこがれの「一人旅」をする許可をようやく得て、るんるん気分で出かけて行った。ところが東京駅を出発してまもなく、新幹線の中で怪我をしてしまった。意外と深い傷で、なかなか血が止まらず不安になって家に引き返したくなった。それでも、やっと親を説得して出た一人旅、帰るわけにはいかないと旅を続けた。結局、怪我のせいもあって、一週間の予定を数日で切り上げ、家に帰った。やはり一人は心細くて寂しいなと感じた初めての一人旅だったけれど、その後は、一人旅の楽しさ知り、幾度となく一人旅をした。

暑い夏の盛りに一人で京都に滞在したときは、大好きな「くずきり」を食べに、毎日毎日、鍵善良房に通った。そのとき、どこを見て回ったのかは忘れてしまったけれど、氷水で冷たく冷えたくずきりを黒密につけて口に入れたときのおいしさは、しっかりと憶えている。

フレンチ・トーストに目覚めたのも京都。滞在していたホテルで、何気なく注文した。「30分ほどお時間をいただきます。」と言われて、のんびりと待つ。やがて出てきたフレンチ・トーストは小さなオムレツのような形をしていた。おもしろい形だと思いながら、一口いただくと、口の中に感動が広がった。こんなにおいしいフレンチ・トーストを食べるのは初めてだった。それ以降、あの感動的なおいしさを超えるフレンチ・トーストに、まだ出会っていない。

今週末の京都も、何を食べようかなと、今から楽しみだ。そうそう、訪れたい場所は、どこかお庭の美しいお寺。おいしいものと美しい風景と・・・。今回は敬老の日を前に、母と娘の気ままな旅。秋の涼しい風に誘われて、足の向くまま歩いてみよう。

Rie

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ありがとう

スパンコールの衣装に身を包み、彼女はステージに現れた。ゴールドに輝く衣装をさらりと着こなせるようになった。やはり10年分の貫禄だと、ほほえましい気持ちで見つめる。

友人のデビュー10周年記念ライブに出かけた。六本木のライブハウス。彼女の歌を聞くのは数年ぶりで、歌に迷いがなくなっていると感じた。伸び伸びと歌う彼女が、いい輝きを放っているのを見て、とてもうれしくなった。

10年間、よくやってきたね、よくがんばったね、すごいね、本当に!と心の中で言いながら、何度も拍手をおくった。

彼女は、パーカッショニストの父とジャズシンガーの母を持つ。それが重荷だったから、彼女は大好きな歌の道を選べずにいた。

それでもあるときDNAがオンになって、歌の道を歩き始めたと彼女が話す。思い悩んだ日々をまるで笑い話のようにするので、ときおり会場に笑いの渦が起きる。ようやく肩の力がぬけて彼女らしさが表にでてくるようになった。

デビュー前の彼女とともに、いろいろな場所へ旅をした日々のことを思い出す。

ペルーやアメリカ、北海道や京都、神戸。ともに遊んだり、思い悩んだり、かけがえのない日々を過ごした友人が10年後、こうして元気に歌っている姿をみると、自分の中からも力がわいてくる。活き活きとしあわせに日々を生きていくことは、周りの人たちへの最大のギフトだとあらためて思う。

もちろん、今も思い悩むことは、お互いにあるけれど、だからこそ、前に進んでゆけるのかもしれない。ある人が言っていた。「人生にはいいことしか起こらない。」どんなことも前に進んでいく力に変えてゆくことができれば、そうなのだろう。

「母の歌を超えることはできない。でも、私の中に私の歌があるのを知っている。」10周年のステージでジャズを歌う彼女を見ながら、昔、彼女が言った言葉を思い出す。聞こえてくる彼女の歌は、心に響いてくる。「うーん、上手。」とうなってしまう。彼女は「知っているもの」を、今、確かなものとして、その手に掴んだのだろう。そして新たな10年へと向かう。

こんなにすてきな友人を持っているなんて、私もがんばらなきゃと思いながらライブハウスを後にする。足取り軽く歩く街の風景が、なんだかキラキラと輝いて見えた。

がんばっている友人たちに、ありがとう。

Rie

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