ことばになりたい
先日見かけた本を、やはり今日は買おうと思って本屋さんに立ち寄る。新刊が並んでいる辺りを横目で通り過ぎてすいて、目的の本があるコーナーへ行く。あった。もう一度手に取り、表紙を開く。キレイな写真を見て満足する。 その本を持ってレジに向かおうとすると、ふと一冊の本の前で足が止まる。 「ことばになりたい」という題の淡いモスグリーン色の本に手を伸ばす。パラパラとページをめくってみてから、詩集のようなその本を棚に戻す。そして立ち去ろうとすると、体がうごかない。あれ?と思う。 「あんまり面白そうじゃないわよ。以前に似たような詩集を買ったけど、結局ぜんぜん読まなかったでしょ。それに、他の本とサイズが違うから本棚にしまいにくいわよ。しかも、この著者の名前、聞いたことも見たこともないわ。パラパラと見たけれど、あなたの好みに合っているようには思えないけど。」 頭の中で、そんなことを言っている私がいる。それでも体が動かないときは、「わかりました、買いましょう。」と、その本を手にする。 そんなふうに出会った本は、たいてい読んでみると、私の気持ちにとっても響くものがあって、この本に出会えてよかったと感動することになる。 「ことばになりたい」は、一倉宏さんというコピーラーターさんのエッセイのような詩集のような本だった。どんな気持ちもことばになりたがっている、というようなことが書かれたページを読んだとき、胸の奥の力がフワリと抜けて、あたたかく切なくなった。 私の内側は日々、いろいろなことを感じている。素直にことばにしやすいものもあれば、ことばにしにくいものもある。ことばになっても外に向かって表現されないものもあるし、表現したいと思ってもことばにならないものもある。 いずれにしても、私の内側で起きてくるそよ風や荒波、光や暗闇は、どれもことばになりたがっているのかもしれない。その様々なすべては、それぞれに「ことばになりたい」と感じているのだとしたら・・・。 私は急に、私の中で感じているすべてが、ちょっといとおしくいなった。どんな気持ちも、こんなことは感じたくないと、心の隅っこに追いやってしまわなくていい。ことばになりたいと、トントンと心のドアをノックする様々な「気持ちたち」。そんな気持ちたちに居留守を使ったり、門前払いをしたりした自分がいたなと、ふと気づく。 今度は、ドアを開いて招き入れ、そして、できるのならば「ことば」にしてあげよう。そんな気持ちで、モスグリーン色の本を置いて眠りについた。 翌朝、「ことばになりたい」と書かれたモスグリーン色の本に、朝の光がそっと射しこんできた。そして、まるでそこが、その本の居場所だったかのように、私の机の上にいた。 Rie
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