ご縁

「袖触れ合うも他生の縁」というのを「多少の縁」だと思っていたという話はよく聞くが、私も以前はそう勘違いしていた。 「他生」と「多少」では大違いだ。袖を触れ合うだけでも他生の縁なら、今回の人生で出会った人たちとは、かなりの縁があるということだ。ましてや毎日顔を合わせる人や、家族などとなれば、相当の縁があるということだろう。

社長とSさんのお能の舞台を見ながら、そんなことを思っていた。Sさんがお能のお稽古を始めて十数年。社長は、Sさんより数年後に稽古を始めたそうだ。今回は、Sさんの初のお能の舞台に、お二人で一緒立つことになった。今までも、毎年、謡や仕舞の舞台はされていたが、装束をつけての本格的な「お能」は初めて出そうだ、お二人とも上達振りを見込まれての大役だ。

演目は「橋弁慶」。Sさんが弁慶役で社長が牛若丸。その後の運命をともにすることになる運命的な出会いのお話だ。社長とSさんも牛若丸と弁慶にも似た縁があったから、一緒に舞台に立ったのだろう。

午前中から始まった会のトリを飾るSさん。能楽堂はほぼ満員だ。舞台左の幕の向こうから「幕」というSさんの声が聞こえたかと思うと、幕がスーッと上がってSさんは登場した。舞台中央までの数メートルの距離をゆっくりと進む。動きがゆっくりなぶん、全てにごまかしがきかないだろう。それでもSさんは会場の視線を一点に集め、遠い中世の世界へと私たちを誘ってくれた。

途中から登場した牛若丸の社長、舞台前方で、かなり長い間、ただ立っていた。ただ立っているというのは、舞うのと同じか、それ以上に難しいだろう。バレエも「ただ立つ」姿が一番難しいと聞いたがある。社長は、怖いもの知らずの純粋な少年のようにまっすぐに立ちつづける。そして私はいつしか、社長ではなく牛若丸を見つめている。

さて、二人の立ち回り。Sさんは自分の背丈より頭一つ分ほど長い薙刀を大胆に振りかざす。社長は、その薙刀を軽くかわして身軽に動く。Sさんの薙刀の扱いは慣れたもので、安定感と力強さがを感じる。薙刀が足元を狙うと、社長はポン!と飛び跳ねて身をかわす。最後には牛若丸の短刀に弁慶の薙刀は手から外れ、音を立てて床に落ちた。弁慶、完敗である。そうして、牛若丸と運命的な縁を結ぶ場面は、社長とSさんのご縁を重ね合わせて感じられるようだった。

牛若丸は、少年らしくかろやかに舞台を去った。一人残った弁慶の最後の舞。登場したときよりも落着きを増し、広い舞台の空気をすべて操っているようだった。40分ほどはあったであろう演目だが、もう終わってしまうのかと名残惜しい気持ちになる。そんな思いの中、お囃子は止み静まり返った舞台を、弁慶は悠々と衣擦れの音だけを響かせ去ってゆく。

私はSさんのお能を観ていたつもりが、知らないうちに弁慶の胸のうち想いを馳せている自分に気づく。

社長、Sさん、全くお見事でした。

Rie

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小指

もうすぐフラメンコのステージの幕が上がる。どんなオープニングなのだろう。

前から3列目中央の席で、私はドキドキしながら前回のオープニングを思い出している。酒場で数人の男女がお酒とおしゃべりを楽しんでいる。そのうち、おもむろにギターが鳴り始め、手拍子や足踏みが続く。やがて一人の女性が立ち上がり自然に踊り始める。そして、観客の気持ちもいつの間にかステージの中の酒場に座っていた。

記憶に残るあの印象的な光景を、今回は超えなくてはならない。

彼女のステージは前回と前々回の2年連続で大きな賞を受賞した。観客はもちろん期待する。そして、彼女は応えなければならない。

会場の照明が落ちて幕が上がる。ステージ中央に客席に背を向けた彼女が逆光の中で立っている。ベースギターの低い音だけが響き始める。つぎにバイオリンのソロ。彼女はじっと動かない。やがてギターが鳴り出す。

いったい彼女は、いつ動き出すのだろうという気持ちが頂点に達するころ、彼女の小指が動いた。たった、小指だけだ。それから、薬指、中指としなやかに回転しながら両手が、腕が、羽のように広がった。その姿に、私の目は釘付けになる。彼女の小指は、まるで主役のように堂々と先頭に立って踊りを導いてゆく。こんな手の使い方ができるなんてと驚く。

期待は裏切られなかった。彼女は小指一本で、観客の心に触れた。

賞を取ったことは、彼女に新たなプレッシャーを与えたことだろう。彼女の目は、依然より鋭さを増していた。地位や名誉を得るという事は、同時に期待と責任も負うことになる。その重荷につぶれてしまう人やそれで満足して実質的に終わってしまう人もいる。与えられたものを真摯に受け止め、さらなる努力を重ねてゆく人には、新たなステージが開けてゆくのだろう。

近頃の彼女は、とても腰が低くなった。周りへの気配りや感謝の言葉が多い。彼女の道は、より豊かになったのと同時により険しくなったはずだ。その道をさらに登ってゆく覚悟は、言い換えれば「愛」だと思う。フラメンコに対する熱い想い、つまり「愛」がなければ、進んでは行けない道だろう。

彼女の可憐な小指は、広く見果てぬ世界へ向かって果敢に挑んでいるようにも見えた。細くか弱いけれど、きっと天の心に触れるに違いない。

Rie

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パリの秋

会社から戻り家の玄関を開けると、海外からの小包が届いていた。すぐに手に取って見ると宛名の最後に丸みを帯びた字で“JAPON”とある。差出人を見なくても、誰からかがわかった。“JAPON”と書いてくるのは彼女しかいない。

ジャポンという音の響きが、ジャパンより柔らかで好きだけれど、一応フランス語では男性名詞だ。

まだ開けてもいない小包からは、ほのかにラヴェンダーの香りが漂ってくる。フランスの風が運んでくれたプレゼントに喜ぶ。今、彼女はベルギーに暮らしているけれど、ファッションのお仕事をしていたので長年パリに暮らした。私にとって、彼女はいつもパリの風景とともに思い出される。

わくわくしながら小包を開くと、香りのもとはラヴェンダーの石けんだった。フランス製のハーブ入り石けんとナプキン。行ったことはないけれど、プロヴァンス地方を思い起こす。そしてマドレーヌのレシピ本。たくさんの種類のマドレーヌが載っていて写真を見ているだけでも楽しい。お菓子作りをしなさいというメッセージかしら?(私は、有名な先生のもとでお菓子作りを勉強したが、自分一人では全く作れない。)けれど本の中身は全部フランス語だからわからない。見て楽しむだけでいいということかな。

彼女のカードを何度も眺める。短い誕生日祝いのメッセージだけれど、やはりパリ色だ。メールでも手紙でも、彼女は、グレーやくすんだブルーをよく使う。その使い方がとってもおしゃれなのだ。バースデーカードは、黒い細いペンとグレーの太いペンを使い、シンプルで印象的。私が使ったら、野暮ったくなってしまうであろう色使い。彼女が使うと、こんなにもセンスが光る。

彼女が旅先から送ってくれる絵葉書も、モノトーンやセピア色のものが多い。私とは全く違う色の感覚に、いつも洗練された感性を感じる。単色や少ない種類の色で味わいを出すことは、私にはできないので本当に感心する。

そして彼女は、黒を着こなす。初めて会ったとき、彼女は黒いシャツに黒いパンツ姿だった。それが自然に決まっていた。フランスでは「シンプル」というのが、女性が喜ぶ褒め言葉のひとつだそうで、彼女のステキさも、とても「シンプル」だ。

先日、彼女から届いたメールの文字は、淡いラヴェンダー色。こんな色を使うのは、彼女以外にいない。パソコンの画面では、ちょっぴり見づらい色もあるけれど、やはり彼女はパリの色。メールを読み終える頃には、ヨーロッパの香りに包まれたような気分になった。

彼女から届いたカードとプレゼントを私の寝室の「大切なものコーナー」に飾り、しばし気分はパリ色の秋。

Rie

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コスモス

「わぁー!」

旅先で出会ったコスモスの色鮮やかさに思わず声をあげた。田んぼの回りのあぜ道に咲くコスモスは、私の頭を軽く超える背の丈で、茎は太くたくましい。大輪の花の色は、吸い込まれるように鮮やかだ。

こんなに力強く活き活きとしたコスモスを見るのは初めてだった。秋になると、東京でも鉢植えや公園などでコスモスを見かけるが、可愛らしい花だと思う程度で立ち止まってしっかり見ることはなかった。ところが、田舎で出会ったコスモスたちには、近づかずにはいられなかった。優しさとたくましさ、そして美しさを兼ね備えている。こんなに魅力的なコスモスは見たことない。「空気と土が違うのよ。特に田んぼは肥料がいいから。」と、友人が言う。

東京に帰ると、花屋さんにコスモスの鉢植えが並んでいた。田舎で見たコスモスと比べると、その姿は弱々しく生気がなく、ちょっとかわいそうなほどだ。同じコスモスでも、環境が違えば、こんなにもちがう。

人にも同じことが言えるのだろうか。

親戚の叔父は八十代後半で、お米作りをしている。今では大部分を人にお願いをしているが、家の回りの小さな田んぼだけは、自分でやっているそうだ。その叔父の体力と頭のクリアさ驚いた。ちょっとした物忘れをしないのだ。「先ほども少し話したことだけれど・・・」とか「りえちゃんは昨日、こう話してくれたね。」などと言われるたびに、私のほうが忘れたりしている。名前が思い出せないとか、単語を忘れたというのが全くない。何でもよく覚えていて、人の話を興味深く聞く。口調や反応がゆっくりになったということもない。

そんな叔父が最近はまっているのが、「世界の車窓から」というDVDを見ることだと言う。スイス、ドイツ、イタリア、フランスとシリーズで持っている。一緒にフランスのDVDを見ていると、叔父は、私が旅行したときの様子や、フランス人の国民性や産業文化のことまで、いろいろと質問してくる。私のほうが、叔父の質問に根を上げてしまうほど。

「一度、行ってみたい。」と熱い想いを語るように叔父は言う。八十代後半にして、初めての海外旅行か・・・、私の頭の中にちょっと不安がよぎる。けれど、「大丈夫よ、添乗員さんが同行するツアーに参加すれば、言葉は出来なくても、ちゃんと観て回れるわ。」と伝える。こんなに海外に興味をもっているのなら、是非、一度でもいいから行ってもらいたいと思う。

体も頭も、全く衰えを感じさせない叔父に驚きつつ、やはり、広々としたストレスのない環境がいいのかしらと思う。もし、叔父が東京で暮らしていたら、もっとくたびれていたかもしれない。あの鉢植えのコスモスのように。

おいしい空気と新鮮な食べ物。広々とした風景。陽が沈めば辺りは真っ暗になり、夜は静まりかえる。

コスモスと叔父の活き活きとした姿は、東京に戻った私を今でも刺激し続ける。

Rie

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秋海棠

庭先の花壇を指して叔母が言う。

「あの花の名前は、シュウカイドウというの。憶えて帰ってね。あちらは紫式部よ。」

9月の連休を、母の実家がある秋田で過ごした。叔母はお花の名前をいろいろ教えてくれるのだけれど、私は、いつものように、すぐに忘れてしまう。叔母はそんな私のことは気にもとめず、楽しそうに花の話を続ける。

秋田では、時間がゆっくりと流れていた。広い空、長い雲、地平線に連なる山並み。黄金色に輝き始めた稲穂の上を、秋を運ぶ風が駆け抜けてゆく。

数年ぶりに会った友人と川縁の遊歩道を歩く。東京と比べると、もうずいぶん涼しいけれど陽射しは、まだ強い。遊歩道の木々は強い陽射しをやわらかく散らして、私たちの肩に、足元に光の花びらが舞う。

「和花の名前を憶えはじめたの。これはミズヒキ。」と友人。

お茶を習っている彼女は、今年は花の名前を憶えることにしたという。ミズヒキ?ご祝儀袋に結ぶ「水引」に関係があるのだろうか。花の名前を憶える才能がないと思うので、初めから憶えようとしない私に、彼女は言う。
「お友だちが増えた感じよ。」
意味がわからなくて?マークの顔をしている私に、彼女は続ける。

「こうして歩いていると、あの花はミズヒキとか、これは何々とか、名前を知っている花を見つけると、そのたびに、お友だちに会ったみたいな気持ちになるのよ。だから、お友だちが増えたって感じ。」

そうか、私は名前を知らないからどれも同じように見えてしまう。だから憶えられないのかも知れない。

散歩のあと、武家屋敷跡を見学する。座敷に展示されている明治時代の着物、その柄は「シュウカイドウ」だと説明されて、「あっ、叔母が教えてくれた花の名前。」と思い出す。

叔母の家に戻ってから、シュウカイドウの漢字を尋ねた。「季節の秋に海と書いて、秋海棠。」と聞いて、とてもロマンティックな名前だと思う。私は勝手に「州街道」なんて漢字を想像していた。ミズヒキは、やはりご祝儀袋に結ぶ水引に似ていることから、名前がついたという。

「シュウカイドウ」・・・秋の海という名を持つ花だと憶え、あらためて花を見れば、先ほどまでは風景の中に埋もれていた花が、鮮やかに浮き上がってくるように見える。そして、名前の奥に見える景色にまで想いを馳せる。この花に秋海棠と名づけた人は、どんな人だったのだろうか。どんな気持ちで、この花を愛でていたのだろうか。気がつくと、そんなことをぼんやりと考えていた。

今回の旅で、私にも、友だちがふえたようだ。

今ごろ、あの花たちは、東京よりも一足速い秋風の中で揺れているだろう。遠くに冬の足音を聞きながら。

Rie

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思いやり

女性ばかり8人のお食事会。ルイ16世様式のインテリアを取り入れた店内。

みんな、ちょっとおしゃれをして優雅な気分でテーブルを囲む。それぞれに時期は違うけれど、同じテーブルセッティングの教室を卒業した人たち。年代は様々で、初めてお会いする方もいた。それでも、「食卓芸術」という共通のテーマに話がはずみ、時おり笑い波が起きる。次々と運ばれてくるお料理も美味しくて、なおさら会話は尽きない。

それは、デザートが運ばれてきたときのことだった。

店員さんがAさんの前に、大きな白いお皿を置いた。私たちは、とても楽しんでいた。きっと、とっても楽しすぎて、最初にデザートが運ばれてきたAさんは、無意識にスプーンをとった。そして、にこやかにお話を続けながら、アーモンドの香り高いブランマンジェを食べ始めてしまった。まだデザートは一人分しか出ていない。私は、ちょっと、「あらっ。」と思った。そして、Aさんのお隣のBさんは、私の真向かいで微笑みながら、ちらりとテーブルを見回した。やや間があって、Bさんと私のデザートがくる。残りの人たちの前には、まだ何もない。

私は、ここで、一瞬考えた。マナーにのっとれば、みんなのお皿が出揃うまで、手をつけるのを待つべきである。待たずに食べてしまったら、まだデザートの無い人たちに失礼だろう。でも、マナー教室を開くほどのAさんが、楽しさのあまり、召し上がり始めている。

ここでBさん。

デザートがテーブルに置かれると即座にスプーンを取り、パッと一口、口へ運んだ。それを見て、私もすぐに真似た。それは、楽しんでいるAさんへの思いやりだと、私は解釈した。ここで、Bさんや私がデザートに手をつけずにいたら、Aさんに気まずい思いをさせてしまうだろう。Bさんと私は、デザートを一口だけいただいてスプーンを置き、そのまま、全員のデザートが揃うまで、おしゃべりを続けた。

マナーは「正しさ」を主張するものではない。どうしたら、みんなが一番幸せか、それを思いやり合うのが本質だろう。些細な出来事だったけれど、私には印象に残るBさんの自然な行動だった。私たちの先生がパーティー学の授業で教えてくれたことを思い出した。「決してお客様に恥をかかせないこと。」「一緒に過ごす間の、相手の幸せを保証すること。」

マナーには思いやりの心が大切だと言われるたびに、「思いやり」とは何なのかと私は考えこんでしまう。思いやりの心が大切なのは、正しいには違いないが、どこか今ひとつ賦に落ちなくて、よくわからなかった。でも、Bさんの行動は、私に教えてくれた。私は今まで、何が「正しいか」を考えていたからわからなかったのだと。

大切なのは、みんなにとって何が「幸せか」を感じ取ること。あちらも立てて、こちらも立てて、自分も満足して幸せ、という結果になれば最高だ。

「思いやり」とは、まわりの幸せ考える「喜び」なのかもしれない。

お腹も気持ちも満足したお食事会だった。

Rie

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仲間

数年ぶりに、思いがけない友人から連絡がきて、一緒にコンサートへ行かないか?と言う。スケジュール帳を見ると、その週は、ちょうどその日だけ予定が空いていた。これは「流れ」かも、と思って出かけた。

彼女に会うのは5年ぶり。ちょっとワクワク、ドキドキ。彼女は変わっているかしら?私を見て、彼女はどう思うかしら?

待ち合わせは、コンサート会場。コンサートが始まる5分前に到着。ホールに入る前にお化粧室に立ち寄る。そこで彼女とばったり。彼女は全然変わっていなかった。それどころか、5年前より若返っている感じすらした。彼女は、私を見て開口一番「あー、りえさん、髪が長くなってる!」

久々の再会に、二人とも感動・・・、という雰囲気はなかった。コンサートが、もうすぐ始まるので、急いでホールへ。席につくと間もなく、コンサートは始まった。

アカペラ・コーラスのコンサート。
懐かしいホールに透明なハーモニーが響き始めると、私の中に、昔の日々が鮮やかに蘇ってきた。この10人ほどのコーラス・グループは、どこまでも透明な音を追求している。

指導にあたる先生の言葉を借りれば「楽譜に頼らず自分の耳だけを使い、瞬間的に響きの立体空間を聴き取っていくというトレーニングによって、人の本質にふれる音を探求しつづけている。」といことだ。

私と隣に座る友人は、かつて、このホールのコンサートで、ステージに立つ側にいた。そして、5年前、私も彼女も、同じ時期にこのグループを去った。その理由はお互いに何も聞かないまま、その後は、彼女にもメンバーたちにも会うことはなかった。

みんなと過ごした日々は、本当に楽しかった。練習はとてもハードだったけれど、得るものも大きかった。季節ごとの合宿、コンサート、海外への演奏旅行。すべての活動は、「一瞬の音に無限の響きを聞く」という目的につながっていた。

毎回のレッスンは、自分の人間性と真正面から向き合う作業だ。自分の音が響かないとき、それは、誰のせいでもなく自分の心の問題だ。自分の声が美しいハーモニーを奏でられないとき、言い訳はいっさい認められず、徹底的に自分と向き合わなければならない。その先で、初めて音の原風景と出会う。

そんなレッスンに夢中になっていた時代があったけれど、変化のときが訪れたのだろう。理由をうまく伝えられないままに、私は長年お世話になった先生の元を去った。

ステージから私たちの顔をみつけた先生は、笑顔で「今日は、昔、一緒に旅をしたなつかしい仲間が、会場に来ている。」と言った。今日、私たちがここに来ることは、誰にも知らせていなかったので、先生は驚かれただろう。

最初の歌は「やさしく友を迎えよ・・・」という歌詞で始まった。私たちもよく歌ったなつかしい歌だ。この曲をコンサートで歌ったのは、とても久しぶりだったと後から聞いて、うれしい偶然を喜ぶ。

コンサート後、友人とともに先生と再会する。不思議な感覚だ。つい昨日まで、一緒にレッスンをしていたような気持ちになる。お互いに、会わなかった日々の時間が、何の壁にもなっていない。時間というものは、いったい何だろうと考えてしまうほど、私たちは、あまりにも自然に語りあい、笑いあった。

昔、熱い情熱をもって共に同じものを追い求めていた。そんな中でぶつかり合っても、理解しあうことができたし、共に励ましあい、成長しあうことができた。けれど、求めていたものがお互いにズレてしまったとき、ぶつかり合うことは出来なくなった。寂しく悲しかった。

そして、あのときの私の寂しさは、再会してみたら、「いい思い出」になっていた。

共にひとつの時代を本気で過ごした仲間たちとは、一瞬にして会わなかった時間を飛び越えることができる。何も飾らない「す」のままの自分になれる。

今は、それぞれに、違う方向を見つめて生きているけれど、想いは通じ合う。そんな仲間たちは、いつも「す」のままの私を応援してくれる、心強い存在だ。

こんなにステキな仲間がいるのだから、私は、まだまだ、開かれた未来へと進んでゆけると思った。久しぶりの過去との再会は、私の背中を未来へと押してくれたようだ。

RIE

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走る

宝塚歌劇団の舞台を見る機会があった。

この有名な劇団のステージを初めて見て、そのエネルギッシュで煌びやかな舞台に驚いた。熱い演技、歌、そして華麗な踊り。それらをさらに輝かせる豪華な衣装、舞台装飾の絢爛さ。これでもか、これでもかというほど、次々と華やかな光を増し繰り広げられるシーン。

レビューのステージでは、出演者たちは走りっ放しだ。こんなにずっと「走っている」なんてすごい。特に主役のトップスターは、ほぼ全てのシーンで舞台に登場し、しかも、ステージ中央にいるので、登場するときもはけるときも、走る距離は一番長い。

一回一回が全員で全力投球の舞台なのだろう。全力投球の舞台だから、観客に伝わる。そして観客の感動が、また出演者たちに伝わり、エネルギーがどんどん高まっていくようだ。

もう長年の付き合いになる宝塚出身の友人がいる。私が彼女と出会ったのは、彼女が宝塚を退団したあとのこと。それで彼女に、初めて宝塚を見てきたと報告したら、「あら~、見たこと無かったの?すごかったでしょ。私あんなことしてたのよ~、ハハハ。」と電話の向こうで笑った。

「すごかったわよ、みんな、走りっ放しなの。」と興奮気味に言うと「そうよ、練習のときは一日で体重が3キロも減るの。いつも、100%でやるのよ。」と彼女。あの「走り」では、体重3キロというのは納得できる。90%の力で練習していたら、本番で100%走ることはできない。

以前、小さな集まりで何度か会った女優さんを思い出す。

「彼女、宝塚のトップスターだったの。」と紹介されても、私はピンとこなかった。私の中の女優さんのイメージ、女性的な華やかさがなかった。

彼女はいつもパンツ姿にジャケットを着て、黒か茶系の装いで地味な雰囲気、口数も少ない。ソファには座らず、いつも絨毯の床に腰を下ろしていた。私はなぜか、そんな彼女の靴下にいつも目がいった。地味な色だけれど、とってもおしゃれだったのだ。そんなところでセンスが光るなんて、やはり女優さんなのだろうと、ぼんやり思った。

でも、もしあのとき、宝塚の男役トップスターがどういう存在かを知っていれば、私の彼女を見る目はハートの形になっていたかもしれない。女性にしては低めの声と優しい笑顔、目立つことは何もしないのに存在感があった。どこまでもさりげない周りへの気遣い。一緒にいると、あたたかな気持ちになれる人だった。あの深い魅力は、宝塚の「走った時代」に培われたものだったのだろうと、今になって思う。

人生のなかで、全力で「走った時代」を持っている人はいいなあと、活き活きと弾けるステージを見ながら思う。パワー全開で踊り、歌い、走るとき、すべては「今」に集中して、不安や迷いなどを感じている暇はないのだろう。そんなステージを見ていると、こちらも元気をもらい「今」を走ってみたくなる。

「走る」とは、後を振りかえらないこと、かもしれないと思う。全ての過去は、より良い「今」を生きるためのもの。反省はしても後悔はしないという言葉の意味が、ようやく腑に落ちてくる。

「今」を信じ前を向き続けること。進み続けること。そうすれば、あの女優さんが放っていた静かな輝きを、自分の内側に見出せるかもしれない。

Rie

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「ツイてる」の実験

「ツイてる」という言葉をたくさん言うと、本当に「ツイてる」ことが起きる。そんな話をよく耳にする。先日も、「ツイてる」というのは、いつも自分にツイて守ってくれている、ありがたい存在のことだと、本に書いてあった。

それで、ある朝、試しに「ツイてる」と言いながら駅までの道を歩いてみた。周りに人が居ない間の、ほんの数分間のこと。

駅に到着すると、なにやら信号機トラブルで電車が遅れているとのアナウンス。

あら?「ツイてる」と言ったのに、トラブルが起きるなんておかしいな、と思いながらホームへ。いつもより混んでいる列の後ろに並ぶ。15分ほど遅れて来た電車はかなり混んでいる。朝の15分は大きい。いつもなら、6時半ごろの電車は比較的空いていて、次の駅で降りる人もいるので、運が良ければ座れるが、この混みようでは難しそうだと諦めた。

電車に乗り込み、後から横から押されて奥へ入ってゆく。自分の自由には身動きがとれない。そして次の駅に到着。また、横から後から押されて、あれあれと思っているうちに、たまたまその駅で降りる人のまん前に・・・。あら、座れてしまった。やっぱりいいことがあった、とうれしくなった。

その日、会社で「よかったらどうぞ。」と本を頂いた。袋を開けると、中には本と一緒にシールが入っていた。それが「ツイてるシール」というのだったので、びっくり。実験はかなり成功かもと、一人でニンマリとしてしまった。

さて、夕刻。一日の仕事を終えて家路に着く。帰りは座ってゆくために、始発駅で並ぶ。電車が到着するころには、ずいぶんと列が長くなったが、前から3番目だったので、これなら余裕で座れると思っていた。

到着した電車のドアが開くと、最後の人が降りきらないうちに、待っていた人が乗り込み始めた。最後に降りようとしていた若い女性はトランクを抱え立ち往生。彼女のために、ちょっと脇に寄り立ち止まると、後ろの人が私を押しのけて電車に乗り込んだ。その勢いで人が車内になだれ込み、私は出遅れてしまった。

女性が降りた後、慌てて乗り込んだが、すでに車内の席は全部埋まっている。いつものように、「座席争い」は5秒で終了した。・・・ショック。車内をうろうろするが、もう空いている席はない。

でも、あの女性を押しのけて座れたとしても後味が悪かっただろうと、自分を納得させる。

「結局、最後に勝つのは誠意や思いやりだ。」という私の好きな作家の言葉を思い出し、50分間の「立ち」を覚悟してつり革につかまろうとしたときに、事件は起きた。

目の前に座っていた若い男性が、突然立ち上がり、あわてて電車を降りて行ったのだ。あれ、どうして? まあ、いいか、何だか知らないけれど座れたのだから。やっぱり、作家の言葉は正しかったと心の中で喜んだ。

以上、「ツイてる」の実験は、なかなかの結果だった。

Rie

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銀座画廊物語

社長から本をいただいた。

大きな紙袋に何冊も。しかも、数回にわたって。本の整理をしていたら、間違えて同じものを2度買ってしまった本があったそうだ。私がインターネットで、一度に数十冊も注文するときもあれば、社長が本屋さんでお買いになる本もある。合わせればかなりの冊数なので、一度買ったものを忘れてしまうこともあるだろう。そのお陰で、だぶって購入された本を私が頂くことになった。

自分では、知らない、又は興味がないように思っていた本との出会い。わくわくしながら最初に読んだのは、「銀座画廊物語 日本一の画商人生」(吉井長三著)。

お昼休みに読み始めたら、すぐに惹きこまれて休み時間があっと言う間に過ぎてしまった。それから毎日、お昼休みはその本を読むのが楽しみになった。

私は初めて、世界で活躍する日本を代表する画商、吉井長三さんのことを知った。世界に誇る活躍をしてきた日本人のことを、私はほとんど知らないことに気づく。読み進めるうちに、吉井氏に大きな影響を与えたという画家、ルオーの絵を、どうしても見たくなった。

吉井氏との縁で、一括保存の危機状況にあったルオーの「受難」をまとめて買い取った出光氏。そんなエピソードを読み、早速、出光美術館へ出かけた。

昔、友人に付き合って、美術館めぐりをしたことがある。友人はアートを専攻していたせいもあって、画家の名前も良く知っていたし、絵や彫刻を見ては、感心したり、コメントしたり。私は、何を見ても、どこがいいのか全くわからず、自分にはアートを鑑賞する才能はないのだろうと思っていた。それ以来、みずから進んでは美術館へ行くことはなかった私を、一冊の本が美術館に誘い出してくれたのだ。

美術館にはルオーの作品が3点、常設コーナーに展示されていた。その前に立ってみる。最初に目に飛び込んできたのは黒く太い線。力強い。生きているみたいな絵だ。
ルオーの作品の前に立ち、何かを感じている私がいた。ドクドク。それは、鼓動のような音だった。3枚の絵のひとつひとつの前に立ち、近づいたり離れたりを繰り返す。何回やってみても、そのたびに新鮮で、絵と向き合う楽しみの入り口をやっと見つけたような気がした。最後に、いちばん気に入った絵の前に立つ。もっと、たくさんの絵を見たいという想いが静かにわいてきた。

面白い本は終わりに近づいてくると、読み終えてしまうのがもったいなくて、わざとゆっくり丁寧に読む。この本も、そんな一冊だった。吉井氏が山梨に創った芸術村へも、いつか足を伸ばしてみたい。

Rie

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